グレーゾーンの子どものための学習支援教室 学びのいろは

通常のクラスでうまく適応できない発達障がい、軽度知的障がい、不登校の小中学生を対象とした学習塾 : 浜松

重い自閉症スペクトラムのG君の挑戦

 

 

 

初めてG君に会ったのは小学校5年生の時でした。教室のインターホン

が必要以上に大きく鳴ったとたんに、勢いよく扉が開かれ、靴を脱ぎ

散らして、教室に入り、あいさつもせずに机の上にあるプリントに好き

勝手に落書きをし始め、こちらが注意をしようとすると机の下にもぐって

隠れるといったような様子でした。

 

G君に絡むには一通りのルーティーンを終えたタイミングがいいようで、

そのころを見計らい、靴を揃えさせるように指導しました。意外と素直

に玄関に向かうのですが、かかとがつぶされ靴底が真っ黒の靴のつま

先は、いつも部屋の中を向き、左右は逆さまにそろえてくれていました。

 

教室に戻り、学習を再開すると、また落ち着かなくなります。特に国語

はなかなか学習に集中して取り組めるような状況ではありませんでした。

比較的得意な算数でも計算以外はやろうとせず、1回に進めるプリント

の枚数はたったの2~3枚。

 

学校での様子はもっとひどかったようで、配られたプリントを散り散りに

破り、机の周囲をゴミだらけにしていたり、嫌なことがあったら床に大の

字に寝転がったり、授業中に教室からいなくなったりというような状況

だったようで、素直に何かこちらの言うことをと取り組むといったような

ことはなかったようです。

 

プリントの進む量が少し多くなったり、また逆戻りしたりの繰り返し。

そのような状況が1年以上続きました。あまり変化が見られない状況が

続く中、いよいよ中学生になりました。中学生になってしばらくした

ある日のこと。とある変化がありました。

 

いつものように元気よくインターホンを鳴らし教室に入ってきてきました

私もお決まりのように「靴を揃えましょう」と言ったところ、「揃えました」

という返事が返ってきました。本当かなと玄関を見に行くと、本当に靴が

揃えられていたのです。もちろんつま先の向きは部屋の方で左右は逆に。

 

そのころを境に、教科学習でも指示が通りやすくなり、あまり好きでない

国語の漢字の勉強もするようになりました。数学もいつもわり算の筆算

で終わってしまっていましたが、分数や文字式の学習を教えていくこと

ができるようになっていったのです。

 

 

 

 

中学2年生になりました。

 

G君は塾以外にも、私たちが取り組んでいたバドミントンにも継続して

きてくれていました。来た当初は、ジョギング中にトイレに雲隠れしたり、

順番待ちの時にラケットを振り回したり、空振りするとイヤになって

大の字に寝転がったり、スタッフを2人つけていないといけないような

状況だったのですが、中2になった頃から、どこにいるか分からない

くらい順番を待っていられるようになり、できなかったラリーを10回以上

も続けがれるようになっていました。

 

学習面でも、模試をはじめて受験しました。点数はどの教科も1ケタ台

だったのですが、トータル5時間にも及んだにも関わらず試験中は

ちゃんと座り、苦手な教科でも離席したり、うつぶせになったり、

独り言もありませんでした。

 

 

 

こういった変化をお父さんお母さんに伝えたうえで、1つの提案をしました。

中3から通常級に異動し、全日制高校を受験、進学を目指しては、と。

 

浜松では特別支援学級に在籍している生徒の多くは、

通信制・サポート校か特別支援学校高等部しか進路の選択は

ありませんでした。そのうちG君の場合、知的の課題がないために

特別支援学校への進学は閉ざされており、通信制・サポート校の道しか

ないとお父さんお母さんは考えていたので、非常に驚かれました。

 

なぜ、中3から通常級に異動するかといえば、静岡県の高校受験制度が、

中3の2学期の成績を内申点として高校側が評価するというシステムに

なっているからです。そこに合わせ、一定の成績が納められれば全日制

進学の可能性はあると伝えました。

 

もっとも、中学校在籍中に途中で支援級から通常級へ異動するという

ことそのものは理論的には可能なのですが、前例は全くありません

でした。誰も取り組んだことのないことに対して、G君本人と家族全員、

そして私たちも含めた挑戦でした。

 

お父さんもお仕事を休み、1学期末の三者面談に挑みました。

担任の先生からは「そんなこと聞いたことがない」と言われましたが、

これまでの経緯や塾や模試、バドミントンでの活動の変化など伝えて

要望を伝えました。

 

 

 

2学期になりました。

 

1学期に受けた要望は、通常、夏休み中に教育委員会がとりまとめ、

2学期中に子どもの様子を学校までに見に来られ、異動が適性か

どうかの判定を出すという流れになります。でのすので、いつ、

教育委員会が様子を見に来るか待っていました。

 

すでに10月に入ったので、お母さんに学校から何か連絡はないか?

と尋ねたのですが、「特にない」とのことでした。そうこうしているうちに

2学期が終わってしまいました。

担任の先生からは「特に連絡はないです」との同じ返事だったので、

ともかく3学期から数学だけでも交流級を始めてほしいと要望をだしました。

 

 

 

3学期になりました。

 

教育委員会からの連絡がないだけでなく、交流級も開始されません。

担任の先生に、なぜ交流級が始めてもらえないのか?と尋ねても

「ちょっと今、忙しいので」という言い逃れのような返事しかありませんでした。

 

いよいよ中3が目前に迫った3月になって、お父さんも交えた三者面談を

持ってもらいました。その時は担任の先生と学年主任の先生が同席されて

いました。そこで思いもよらない話を聞かされました。

 

担任からは「管理職には異動の希望は伝えていませんでした」と。

学年主任からは「中3の大事な時期に、彼が通常級に入ると、

他の生徒の学習のやる気を削いでしまう」と。

 

配られた紙を散り散りにしたり、机の周囲をゴミだらけにしていたり、

嫌なことがあると寝ころんだり、教室から勝手にいなくなったりというような

行動が依然と続いているというのです。

 

さすがにこれにはお父さんも怒り、「それだったら1学期、要望した時に、

今日話した内容を教えてもらい、できないとはっきりと言えばよかった

じゃないか」と反論しました。

結局、学校側が対応の不備を認めた形となり、折衷案として次の条件を

提示してきました。

 

中3の4月から朝と帰りのホームルームは支援級で行い、

1時間目から6時間目までを9教科全ての交流を行う。

適応できるかどうか様子を見て、6月末までに判断をする。

 

不利な条件でした。これまで一度も通常級で過ごしたことがないのにも

関わらず、いきなり40人の生徒の中で皆と同じような生活を強いられる

わけです。学校はできないことを承知で通常級に放り込むようなことを

提示してきたのでした。

 

そうはいっても、もう中3。時間がない中で、いたし方がない面もあり、

お父さんお母さんの決意は固く、その条件で通常級にチャレンジする

ことを決めました。

 

問題は本人です。周りが一生懸命お膳立てしたとしても、肝心の本人が

逃げたり悪ふざけをしたりしては、台無しです。本人も頑張ると言ってる

ので、どの程度やれるか信じるしかありませんでした。

 

 

 

中学3年生になりました。

 

通常級に行く前日の夜。G君があることをお母さんに言いました。

「新しい靴を買って欲しい」と。かかとは踏みつぶされ、靴底が真っ黒でも

何とも思っていなかったG君がこの靴では恥ずかしと思ったのです。

自閉症の子どもはなかなかあまり周囲に関心が向きにくいと思われますが、

彼にとっても明日からは特別だ、という風に思っていました。

 

通常級へ通い出し、1週間が経ち、そして2週間経ちました。

が、学校が心配していたような問題行動はまったく見られませんでした。

私達も塾でのG君の様子に変化がないか強いストレスを感じていないか

注意してみていましたが、特に変わった様子は見られませんでした。

 

そしていよいよ6月下旬。定期テストも無事、受験し終え、結果も返って

きました。テストの点は伸びていました。ただ正式な在籍期間ではないために、

内申点には反映されませんでしたが、一つ大きな山を乗り越えることが

できました。特に学校から謝りやお詫びの言葉はなく、正式に2学期から

通常級に異動することが決まりました。

 

 

 

2学期になりました。

 

内申点をあげるためにはテスト勉強だけでは不足しています。平常点、

特にワークと呼ばれる宿題を期日までに提出することが求められます。

これは家庭で取り組むものなので、エピソードが少ないですが、本人に

とっては一番大変だったと思います。ただ夏期講習を取り組んだことで

毎日勉強をするという習慣づけができていたので、なんとか乗り切ること

ができました。

 

またこれを機に理科の文章題が少しずつできるようになったという効果

はあったように思います。

 

 

 

 

2学期の終業式を迎えました。

 

内申点は、全日制の私立の単願で必要な点数から1点不足していました。

12月の学調の点数を見ると、数学理科は平均点を越え、他の教科は

善戦しました。学調や模試の結果を突き合わせてみると、

全日制のとある県立高校でみると上位10位に入っていました。

もちろん全日制のとある私立であれば点数だけ見れば合格圏内でした。

 

お父さんお母さんと面談しました。状況をお伝えしたところ、

県立高校は当日の成績の上位10%に入れば合格できるという入試制度

になっているということもあり、県立高校の全日制の受験をさせたいと

希望されました。その代わり滑り止めとして私立は全日制を受験せずに、

通信制・サポート校を併願受験すると。

 

冬休みは元旦以外は塾で勉強しました。理科の短文での回答ができる

ようになってきたことをきっかけに社会や国語の学力も引っ張られるように

伸びていきました。また文章を書けるようになったことで、単なる丸暗記

ではなく、関連付けて理解でき、学び方の質にも変化が見られるように

なっていきました。

 

大変失礼な言い方になりますが、学習を通して人間になっていっている

ように私たちには見えました。

 

 

 

通信制サポート校の発表の日は、大丈夫だと分かっていたもののもの

緊張していました。学校からは「併願では落ちます」と志望校を決めた

後からでも再三言われ続けていたからです。勉強に集中させたいのに、

本人にも同じことを言っていたようです。

でもそれらをはね退け、合格することができました。

 

雑音はやっと消えました。あとは県立高校受験に向けて勉強するだけです。

そしていよいよ試験日が近づいてきたころに、面接の練習にも取り組み

ました。練習ではあるものの真面目な空気に耐えられず、おちゃらけ

態度をしてしまったりしないかと思いましたが、いらぬ心配でした。

 

入室の仕方、姿勢、目線、手の置き方など、細かなこちらの指示にも

不平を何一つ言わず一つ一つ改善していきました。失敗もありましたが

何度も繰り返し練習しました。

机の下に潜り込んでいた同じ人間とは思えないくらい成長していました。

 

 

 

いよいよ県立高校の試験日になりました。いつもギリギリで遅刻の常習犯

でしたが、予定の一時間前には家を出て行きました。少し遠くバスと電車で

乗り継いでいかなければなりませんでしたが、行く練習もしたので、一人で

会場まで向かいました。出願した先の高校は、少子化もあり20名ほど定員

を割っていました。チャンスはある。頑張って欲しいと願いました。

終わってから色々様子を聞いてみると、いつも通りの力は発揮することは

できたようでした。

 

いよいよ発表の日。受験生全員が合格する可能性もありましたが、

不合格者がいました。G君だけでした。何故不合格だったのか? 

本当の理由は分かりません。当日のテストは悪くなかったと思いますが、

内申点の不足、遅刻の多さ、そして面接などを通して分かる自閉症の状況。

色々考えましたが、考えても結果が覆るわけではありません。

本人だけでなくお父さんお母さんそして私たちも、しばらくは、

ただただ呆然となるだけでした。

 

 

G君にも、そしてお父さんお母さんにも掛ける言葉が見当たりません。

通信制サポート校の合格であれば、塾に来る必要はありませんでした。

あんなに受験を頑張らせる必要もありませんでした。

もちろんわざわざ嫌な思いをして通常級に異動する必要もありませんでした。

結果が出せなかったという点で、塾としては完全に失敗です。

申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

 

 

その年の夏

 

進学先の先生にとあるところでお目にかかる機会がありました。

頑張っていますか?と尋ねたところ「とても頑張ってくれています。

皆があまり授業が乗り気でなくても、一番前で率先して授業を受けています。

彼がいてくれると皆の学習意欲を高めてくれています」と。

 

1年程前、中学校からは、皆のやる気を削ぐと言われたG君は、

まるで別人のような存在になっていました。

 

 

 

 

追記:2021年5月

 

この春、通信制・サポート校を卒業し、建築士の資格がとれる専門学校に

進学したとのことです。

また18歳になった時に車の運転免許も取得したそうです。

聞くところによると非常に運転が上手で、自由に乗りこなしてるということだそうです。