グレーゾーンの子どものための学習支援教室 学びのいろは

通常のクラスでうまく適応できない発達障がい、軽度知的障がい、不登校の小中学生を対象とした学習塾 : 浜松

軽度知的障害児の学力はどこまで伸ばせるか

軽度知的障害と言うと全体が劣るというイメージがあるが
そうではありません。ある特定のものに遅れがみられる
という方が実情に近いと思います。情緒に課題のない方
だと、コミュニケーションも普通に取れますし、衝動的
な行動とかも見られませんので普通に生活していると気づきません。
 しかしテストなどをすると顕著にその遅れが見られます。
例えば小学校1年生の段階で国語や算数のテストをうけて
半分の点数も取れないというような子どもがいます。
1年生の時にはなんとかなっていた子でも、2年3年と
学年を経るにつれて漢字が覚えられない、九九が覚えら
れない、時計が読めないまま、宿題をやろうとしないと
いった状況が顕著に現われ、検査すると知的な課題が
みつかるといった感じです。
小学生になってから、このような子どもたちが浜松市
だけで1年間に50~100人にのぼり、知的クラス
へと異動しています。検査自体を受けないという人も
いますのて実際にはその2倍くらいの数にのぼり、
発達障害よりも多いです。
異動した先の知的クラスでの支援が適切になされて
いるか、はなはだ疑問です。単に評価して分けている
だけにしか、私には思えません。
発達検査や知能検査というものは、初めて取り組んだ
ときにどの程度の対応力があるのかというものを
図るものです。その能力自体は年齢を重ねても、
色々な支援やトレーニングを積んでも劇的に改善
することはどうもなさそうです。
でも、ずっと九九が覚えられず、漢字が読めないの
状態なのかといえばそうではありません。きちんと
時間を掛けて取り組めば、全日制高校に入学できる
レベルくらいまでの学力は身に付けることができま
す。
この違いは分かりにくいかもしれませんが、
運動に例えると、ものすごく運動神経のいいひと
であれば、泳ぎ方を知らなくても見よう見まねで
泳げるようになります。
運動神経があまりよくない人は見様見真似では
泳ぐことができないままですが、きちんと教えて
もらえればたいていの人は泳ぐことができるよう
になります。
発達検査はポテンシャルを測っており、学力は
積み重ねてきた成果を測っているという違いです。
プロセスはともかく最終的に泳げればいい、
自転車に乗れればいい、自動車の免許が取れれば
いい、仕事を覚えられればいいと思います。
ところが今(浜松?)が取り組んでいる
特別支援教育はポテンシャルを測定し、低い子は
知的クラスに異動させ、中学生になっても小2や
小3の学習でとどまり、とても全日制高校には
入ることができないような程度の学力に留まらせ
てしまっているように私には感じられます。
私は、学習塾として、発達検査60~80台の数値
の子どもたちを40~50人指導しています。
発達検査80を分かりやすく言うと偏差値30です。
発達検査60とは偏差値10に相当します。
そういう子どもたちの共通する学習のつまづきの
例を挙げますと、
「森」という字は読み書きできますが「林」
は読み書きできない。
「水」は分かるが「氷」がいつまでたっても
覚えられない。
「重い」という漢字は書けるが、カタカナの「ノ」
の字が覚えられないという傾向が見られます。
全く異なるものであれば画数が多くても
覚えることができるのですが、
ちょっとした違いや要素で切り分けたり
組み合わせたりして理解するということが
非常に苦手なのです。
1人がそうではなく、軽度知的障害の
多くの子どもたちにこういった傾向が
見られます。
算数であればまた別の特徴が表れます。
これらに丁寧に対応していくと、偏差値40
くらいが必要な全日制高校への進学が
できるくらいの学力の積み上げができる
ようになっていきます。
今回、知的に課題のある子どもたちの
学習や進路に関する情報を実例を交え
ながらお伝えする機会を設けました。
一つの取り組み方、考え方の参考として
当事者の家族などにお伝えできればと
思っています。
一人でも多く、情報を必要とされている
かたに届けばと思っています。

生まれて初めてお給料をもらえた

「生まれて初めて給料もらいました。1万5000円!」
軽度知的障害で療育手帳を持ちながら、全日制高校に進学。
バイトして稼ぐ子どもの成長を喜ぶ母親からメールを
いただきました。教え子の成長に私もうれしかったのですが、
とあることを思い浮かべてしまいました。
 B型事業所の静岡県内の平均賃金は1万5529円。
高校生のアルバイトと変わらない金額だということです。
浜松市内のとある中学校の知的・情緒の発達クラスの
卒業生を対象に数年前、アンケートが行われたそうです。
中学卒業時に特別支援学校高等部に進学した人と
サポート校と呼ばれる通信制高校に進学した人の
2パターンがありましたが、
特別支援学校に進学した卒業生の6割が仕事に
就いているという状況だったそうです。
他方、サポート校に進学した卒業生の6割が
ニートだったとのことでした。
別の資料ですが、厚生労働省がまとめた全国の
データがあります。
そのデータを大まかにいうと、
2割の人が働いていて、8割の人が在宅です。
障害者手帳を持っている人のうち障害者年金を
受け取っている人が3割に満たない程度という
ことからすると在宅の方の割合がかなり多い
と思います。
働いている人のおおむね半分が障害者雇用
残りの半分が、A型ないしB型事業所です。
途中の計算を省いて大まかにいうと
働いている障害者全体の1/3はB型で
1万5000円ほどのお給料にとどまっている
ということになります。
もう20年前になります。私が夜間高校の
教師時代、4年生の担任でした。就職活動
の一環で何に向いているかという適性検査
ハローワークさんと協力して実施しました。
そうしたところ、ハローワークの方から
私が個別に呼び出され、「こんな低い数値は
見たことがありません」児童相談所
相談してください。と言われました。
その子は、4年生でしたが、5年目の高校
生活でした。1年次、欠席・遅刻はゼロで
真面目に学校に来ていたのですが、あまり
にも点数がとれなさ過ぎて、さすがにこれ
では単位は認められないということで留年
したことがありました。その後は低い
成績ながらも頑張って4年生になることが
できていました。
児童相談所の結果は、軽度知的障害で
療育手帳を取得することになったのです。
そこからハローワークの方から紹介されて
S社に障害者雇用されることになりました。
S社は特定子会社があり、障害者はそこで
働くケースが一般的なのですが、
コミュニケーションが図れるといった理由で、
工場に採用されました。
製品を作る仕事ではないのですが初任給が
手取りで10万円以上ありました。
仕事は大変だったと思いますが、その分の
見返りというか、自分を認めてもらえた証
のようなものがお給料だったのではないで
しょうか。その子は結局今も同じ職場で
働き続けています。
今、人を雇用する立場に私はいますので
能力に見合わない給料を支払うことには
賛同しているわけではありません。
そうではなく、きちんとした教育を受ける
ことで一定程度の能力を身に付けることは
できると思っています。
ところが教育を担うはずの学校の先生は
「その子にあったペースで」といって
学ぶべき時期に学ばせないということが
今の主流です。
ペースはもちろんその子のペースですが
背を伸ばしたいと思って、大人になって
から一生懸命牛乳を飲んでも遅いです。
全員が教育によって能力を
身に付けられるわけではありません。
でも、知能や技能も伸びる時期、
あるいはその基礎を形成する時期に
取り組ませておかなければ、可能性は
開花することはないと私は思います。

支援級から通常級へ異動したい

中学進学を機に、知的クラスから通常クラスへ希望してる6年生。
学校の先生から
「夏休み中に5、6年の内容を全部学習しておいてください」
中学受験に強い某S塾では、受講者全員に向けて
「夏休み中に3,4年の内容をしっかり復習してください」
 先生が無知なのか、嫌がらせなのか、
異動を希望すると、こういうことが起こることがあります。
こういうこととは、通常クラスの子どもでも半分以上の子が
できないようなことでも、それができないと通常級では無理だと
決めつけて態度が豹変してしまう先生のことです。
発達のクラスの先生も色々な方がいらっしゃいますが、
保護者も子どもも信頼を寄せていた先生にも豹変した
態度をとられる先生がけっこういます。
私たちは毎年のことなので「またか」と思って受け流す
のですが、秋に異動の判定が控えていることから、
そういわれた親は必死で勉強させようとしています。
そうなると逆効果になる場合もあるので、学校の先生
の一言がどういう影響を与えるのかというのはもっと
自覚してもらいたいと思っています。
むしろ、やっぱりできません、通常級を諦めます、
というのがそもそもの狙いなのでしょうか?
急がば回れ、ではありませんが、中学校の学習につながる
基礎となる内容をその子の特性やレベルに合わせて
取り組ませないといけません。
話しが少しそれますが
昨日たまたま、昔、私が高校教師だった時の先輩の先生と
もう2人の先生が、近くに行くからちょっと顔出すよ、
といってうちの塾の授業を見に来られました。
ちょうど中1生が3人いて、その3人が3人とも
小学校までは発達級、1人が情緒、2人が知的クラスから
中学校に進学するタイミングで通常級に異動した子でした。
それぞれ1学期の成績は
英語は全員が「3」数学は知的の2人が「3」でした。
合理的配慮はない状態。塾にも3人とも自分でバスや
電車を使って自力で通塾しているという話を、私も
授業中だったので手短かに伝えました。
先生たちは何か困惑したような表情をされて帰って
いかれました。その意味することは分かりませんが、
軽度知的障害の子どもをはじめて目の当たりにした
と思います。
先生方と話をしていても、私の声だけが響き渡り、
図書館のように静か。私が目を離していても
勉強を続けている様子は想像していた様子とは
かなり異なっていたのだと思います。
軽度知的障害の子どもも同じ人間です。
同級生に○○級の子、と呼ばれるのではなく、
友達として普通に名前で呼ばれたい。
なりたい自分像や成しとげたい夢を持つ
12,13歳の少年、少女です。

私立高校授業料無償化の影響

三年前から私立高校の授業料無償化がはじまっています。
その結果、私立単願が増え、少子化もあって高校進学は
容易になりました。県立高校の7割が定員割れ。塾へ
通わせる教育費も減り、子どもや家庭の負担は減りました。
他方で無償化に掛かった静岡県の支出は約90億円。
 逆に、落ちてもいいから県立の上位校を目指す人も
増えています。その併願校の私学の生徒数も増えています。
勉強してきた子どもと勉強しなくても大丈夫だった子ども
とが完全に二極化しています。
「勉強しなくても何とかなる」「その子の良さを伸ばせば」
と言われる人がいますが、今は親の世代と子どもたちの
生きている環境はまるで異なっているため、残念ながら
それは当てはまりません。
何が異なってるかというと、遊び含むリアルな関係で人との
交流を図るという生活体験が圧倒的に不足しているという
ところです。今の大学生の年齢でも自分から同世代の友達を
作るということができないという人の割合の方が多いです。
一部、環境とは関係せずに才能を開花できる子どもが
約15%ほどいると言われています。嫌々ながらでも
勉強させられている人の同じ割合くらいいると思います。
それで大体30%くらい。残りの70%は、国のありがたい
方針のおかげで、子どもにも家庭にも負担を減らした形で
高校まで進学できるようになっています。
1年で30%ほどにも上っている新入社員の離職率の高さと
子どもの成育環境の変化と関係がないとは思えません。
勉強しなくてもすまされた高校生が早ければ次の春、就職を
迎えますが、「ブラック」な環境を嫌う若者の離職率
さらに高まるのではないかと危惧しています。
勉強って、算数や国語を学ぶということもありますが、
それ以上に、自分の好き嫌いや向き不向きにに関わらず、
必要なことに対して、きちんと向き合って取り組むという
姿勢そのものを培うという側面があると思います。
スポーツや技芸の習得の場合、好きな活動を通して
厳しい基礎練習や暑い、寒いを乗り越えつつ、真摯に
物事に向き合ったり協力し合ったりすることを学んでいる
のだと思います。
これは、若いときにしか学べません。
私は学習塾、とりあわけ学習面や知的な課題、発達障害
と呼ばれる子どもたちを教えていることもあって
「子どもに分かるように教えてあげてください」
と保護者からお𠮟りを受けることがありますが、
なぜ勉強をしなければないのか?ということなどは
かみ砕いて説明しても高校生や大人でも分からない人
には絶対に分からないような性質のものです。
人の親になって初めて、勉強って大切なものなんだ
と気が付くものです。
説明して理解できる程度のものは後からいくらでも
学ぶことはできますが、説明しても理解できない
ものこそ、大人が責任をもって子どもや若者に伝える
べきことなのではないでしょうか。
その観点からいうと90億円の支出がそういった
メッセージのような性質のものなのかどうなのか
大いに疑問です。
 
 


 
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見えていない子どものニーズ

浜松市が令和2年に行った『子どもの貧困に関する実態調査』
から非常に興味深い結果が読み取れます。それは、
貧困家庭の子どもほど食事よりも学習へのニーズが高い
ということです。どういうことかというと
勉強が嫌い、というよりも分からなくて困っているという
 ことなのだと思います。
この調査結果のまとめにはこういった点について触れた
総括がないのが残念ですが、グラフ化された結果を
追っていけば読み取ることができます。
私は過去、夜間定時制での教師経験や、現在は
軽度知的障害などのグレーゾーンの子どもたちに対して
学習支援をしているのですが、こういった活動を通して
得られる実感と今回の結果がぴったりきました。
私のところで学んでいる子どもたちは勉強がものすごく
苦手です。
例えば、5年生でカタカナの読み書きが完璧に習得
できていなかったり、九九が完璧ではなかったり、
「森」は読めても「林」が読めないといった状況です。
こういった状況なので学校の授業に集中できなかったり
分からないことを隠したいがためにやる気のない素振り
をしたりします。
皆は分かっている、なぞなぞの答えを自分一人だけが
分からないままずっと過ごしているというような感覚
なのだと思います。
かなり古い話ですが、スクールウォーズというドラマ
がありました。その中で、ラグビー部顧問の滝沢
先生が、勉強が全くできない暴力的な高校生の部員に
対して「花」という字を一生懸命教えるシーンが
ありました。その時はまだ子供だったので、大げさな
と思ってみていました。
でもつい先日、ユーチューブでドラマを見つけてその
シーンを久々に見たのですが、自分が取り組んできた
夜間定時制での指導、現在、WISC60~80台の子どもに
対して取り組んでいる姿と重なり、涙してしまいました。
つい30年ほど前まではテレビドラマをつくる人で
あっても子どもが本当は何を欲しているのか分かって
いたんじゃないかと。そういった知恵や教育がこの間
にすっかり失われてしまっている現状や救われていない
子どもたちが大量に生み出されている現状があまりにも
悲しいからです。
昨今、医者やカウンセラー、特別支援教育の専門家
にしか分からないと思い込んでいますが、本当に
彼らの言っていることだけが正しいのでしょうか?
ものすごく参考になりますが、すべてではないと
思っています。
その一つが学習です。専門家と呼ばれる人の多くが
学習は負担でありストレスの現況であり、
軽減すべき事項であると主張されています。
が、浜松市のこの大規模なデータからは全く
違った子ども像が浮かびあがっています。
私のところに来ているアルバイトの大学生がいます。
彼は、私のところに来ているアルバイトと同時に
無償で子どもたちに学習支援をするボランティア
にも言っています。そこの団体は初めは、
主に貧困家庭の子どもに食事を提供するという
ことから活動を始めたのですが、子どものニーズに
寄り添う中でだんだんと学習支援を取り入れる
ようになったというのです。
これはアンケート結果と符合しています。
子どもが暴れているのはなぜなんでしょうか?
「自分だけができない子のままじゃ、嫌」
なのに、誰もできるように分かるように教えて
くれないことに対して怒っている子も相当数
いるのではないでしょうか。

先生が足りない

手元に期限の切れた教員免許があります。
でもこれ、自動的に有効になるようです。
教師を辞めた10年ほど前、不祥事対策として更新制度が導入
その時よりも不祥事増えているように思うのですが更新制度は廃止。
理由は、急速に先生が足りなくなっているからなんですが、
 それで大丈夫なんでしょうか?
もともと学校の先生の人数は生徒数に応じて
きっちり国が計算して正教員の数を指定し
お金も国から出していました。
でもある時から、三位一体改革といって
国の権限や財源を地方に分配していきました。
その時に正教員の数は弾力化され、
予算は割り振られました。
それで非正規の先生を増やして
余ったお金は教育ではないかもしれないものにも
使われるようになりました。
先生不足は主に、非正規の先生で、
人手の数が必要な発達障害や軽度知的障害などが通う
情緒学級や知的学級などの特別支援学級
を受け持つ割合が高くなっています。
非正規は1年契約で、複数同じ学校で勤務
できる場合もありますが、個人としての
指導経験は積みあがらないうえに、その先生
の子どもの所見は正教員よりも低くみられるので
共有もされない。
表向き特別支援学級は専門性の高い先生が
見ていることになっているが、その内実は
非正規教員が多くなり、継続性の乏しい
生徒指導、学級運営となり、正直、荒れています。
正教員自体が、受け持ちを拒否する人が
相当数います。受け持ち拒否がまかり通り
ということ自体がありえないのですが、
教員評価制度というのがこのころから
導入されたことも大きく影響しているように
思います。
さらに部活動や生徒指導といった体育会的な
教育は古いものとして一掃される方向に
舵が切られ、内部通報などでこういった
人たちは追いやられてしまいました。
部活動は地域に移行することになったので
彼らの世話になる必要もこれでなくなった
のかもしれません。
私には公教育が音を立てて崩れ落ちている
ように見えます。

知られない軽度知的障害という存在

発達障害の子が在籍する情緒学級と軽度知的障害の子が在籍する知的学級だと
だいたい800人:1200人で、
軽度知的障害の子のほうが多いです。
 (※浜松市だけの人数です)
発達障害とか学習障害とかネット検索
すると「知的な課題がない・・・」と
説明されていることが多いので、
知的に課題がある子の場合、
そこから先、情報が得られにくく
なっているように感じています。
私はこれまで発達障害不登校の子供
を中心に学習支援をしてきたのですが
こういった事情もあって3年ほど前
からは対象を軽度知的障害の子どもへ
と比重を置くようにしました。
というのも
知的クラスに入ると通常級に戻れる
ケースって大体1%くらいなんです
が、戻れない子の大半が特別支援学校
やサポート校という学校に進学します。
でも、それ以外の選択肢というか
普通の高校、いわゆる全日制高校へ
行けないのかって思われている方が
相当数いらっしゃったので。
その結果というか、
この3月の高校入試では療育手帳
持っている子が県立高校に合格。
特に合理的配慮なしで普通に高校生
として生活できています。
また小学校までずっと知的クラスに
いた子が中学から通常級に異動し、
もう中2になったのですが、
期末テストの英語で44点取って
いました。テストのみならず学校
生活全般において合理的配慮はなく。
この二人は確かに突出していますが
その他の子どもを見ても成績は低い
ながらもビリではなく、全日制高校
へ進学できそうなめどが立ちそうな
子が多くいます。
こういうことを言うと何か裏がある
んじゃないかとか疑われたりするの
ですが、IT教材とか療育プログラム
とか一切なく、紙とえんぴつだけで
算数国語英語を教えただけです。
全員がこうなっていくわけでは
ありませんが、正直、どの子が
伸びるとかという予測は立ちません。
やっていく中でだんだんと
「あの子、伸びたな~」っていう
感じなので、WISCとかの数値
だけで可能性を決めつけない方が
いいように思います。
高校に行けるレベルにまで
学習面が伸びなかった子もいますが
何か問題になるような弊害がでて
いるか?といえば私の知る限り
ありません。
むしろ1時間くらいなら集中して
何かに取り組み続けることが
できるようになっていたり、
アドバイスした別のやり方を
素直に受け入れて取り組もうと
してくれるようになっていたり。
というか勉強って算数国語以上に
そういうことを身に付ける方が
大事なように思っています。
逆に学校って何をしているところ
なのか疑問にすら感じています。
ある時点での数値を見て判断して
成長に向けた支援をしているなら
納得いきますが、単に分けて
負担を減らしているだけのような
気がするのですが、実際どうなんで
しょうか?